努力をして成長する事は素晴らしい事だ。ほとんどの人はこういう風に教えられて育ってきたのではないでしょうか?
成長するのはとても素晴らしい事です。私も成長していきたいと思っています。
しかし、「ありのままの自分」を隠す為の成長は少し氣を付けた方が良いのかもしれません。
いったいどういう事か?例えば
「ありのままの自分」に自信が持てない。だから努力して成長して自信をつけたい。とか
私には誇れるものが何もないから成長して立派になりたい。とか
一見とても良い事の様に感じますが、ありのままの、そのままの自分を見ない様に、見せない様にしているという風にも見えます。
自信の持てない「ありのままの自分」に「成長した自分」を肉付けしている様なイメージ。これだと土台の「ありのままの自分」には自信を持てていない訳なので、不意に肉付けしていた「成長した自分」の部分が剥がれてしまうとまた自信を持てなくなってしまう。
もしこういう経験があって成長する事に疲れたのなら成長は1回置いといて「ありのままの自分」を成熟させてみるのはどうでしょう?
「ありのままの自分」ってなかなか好きになれないし、目を逸らしたくなる存在にも思えます。
でもその「ありのままの自分」を作ったのは自分だけじゃないかもしれません。
環境のせいだったり
誰かから言われた言葉が原因だったり
大切なのはまずその事を分かっていく事。
「今の私の性格はあの時の事が原因でこうなってしまったのかも。でもそれって仕方ないよね。」という具合に心の中の絡まった感情を解いていく。
絡まったイヤホンの紐をほどいていく様な感覚です。
それを続けていくと「ありのままの自分」を少しずつ認められる様になってくる。
「ありのままの自分」に「成長した自分」を肉付けしなくても「ありのままの自分」のままで良いんだと思える様になる。
これが
「ありのままの自分」の成熟なのかなと思います。
私の文章力のなさで何を言っているのか分からないという方が多いかもしれませんが。笑
何を言いたいのかと言うと
新しい何かを身につけようとするばかりではなく、今持っているものを磨いてみるのも良いよね。
と言う事です!
人は「何か」が出来るから価値があるんじゃなくて、すでに存在してるだけで大きな価値があると思うんです。だから「ありのままの自分」をもっと愛して熟成させてあげるとみんなに幸せになれる氣がするんです。
最後まで読んでくださりありがとうございます♪